私が小学校1年だったか2年生だったの時の話
同級生に「タケヤス」という友達がいた。彼は発達障害だった。
話しかけても簡単な言葉しか返ってこない。
タケヤスはすごくいいヤツで、屈託のない心を持っていて「いじわる」な部分がない純真な性格だった。そんなこともあって私は彼が好きで仲が良かった。
しかし、世の中にはいろんなヤツがいるもので、こんないいヤツをおもしろがっていじめるヤツもいた。
うまく話せないタケヤスをみんなの前でからかったり、時にはこづいたり、そんなひどい態度のヤツもいた。
正直私はタケヤスと仲が良かったから一緒にいるときにそういう場面にも何度となく遭遇したこともあった。
しかし、イイカッコしてかばうといじめっ子の報復があるのがわかっていてそれが怖かったから、私はなにもできない弱虫だった。
タケヤスはいじめられても決して陰気にはならず、いつもニコニコしていた。私は「(なにもできなくて)ごめんな」と言っても「ああ、うん」と言ってニコニコしているだけだった。
私とタケヤスはよく遊んだ。ある日にはキャッチボールをしたり、かけっこして遊んだり楽しくいつも過ごしていた。
タケヤスの足の速さは尋常じゃなかった。クラスのどんなヤツよりも早いのだがそのことを知っているのは私だけだった。体育の授業や運動会で走るときはタケヤスは全然本気を出していなかった。仰々しく先生が見守る中では本気を出せないのか、あまりに目立ってしまってそれを妬むいじめっ子の標的になるのを本能的に恐れていたのかもしれない。
ある日学校の運動会でリレーの選手を決めることになった。私は足が遅かったから選ばれることは無かったのだが、こういうモノはだいたい出たがりの奴らが出るモノだと思ってのんびり眺めていた。私には関係ないからただじっと誰が選ばれるのかを見守っていた。
リレーの選手4人を選出するうちの3人まではすぐに決まったのだが、最後の一人がなかなか決まらなかった。アンカーという大役を引き受けるのを皆が拒んでいるのだった。アンカーというのはリレーでは一番重要な役割でそれだけプレッシャーがかかる。それ故に皆が尻込みしていた。クラスのある一人が言った。
「タケヤスでいんじゃない?」
クラス中に笑いが起こった。イヤな役回りをタケヤスに押しつけようというものだった。それを聞いていたいじめっ子もニヤニヤして同調し、クラスの多数決でタケヤスがアンカーとしてリレーの選手に選ばれたのだった。クラス中から拍手が沸き起こり意地悪な視線がタケヤスに集中する。タケヤスはなにが起こったのかわからない様子で困ったような表情で言葉にならない言葉を発していた。私はこれがタケヤスを吊し上げるモノだとわかっていたが、それでもなにもしてやれなかった。
運動会の日、最後の種目リレーが差し迫ってきた。私とタケヤスはみんなとちょっと離れたところにいた。
私 「いいよな、リレーに出るなんて。足が速いヤツしか出られないんだぜ、俺なんか絶対無理だよ」
タケヤス 「うぅ・・、きーちゃん(私のあだ名)・・・あし・・・おそい・・・」
私 「なに!、自分が出るからって、いい気になりやがって、このっこのっ・・・」
私はタケヤスをポクポク殴った。タケヤスは「うぅーあー」とか言いながら嬉しそうに逃げ回った。
私 「タケヤスさぁ・・・、本気出せよ。本気で走ってみ、きっとみんなビビるから」
タケヤス 「うぅー、うん・・・。」
私 「まぁいいや、とにかく。あのバトンってあるだろ。あのみんな手に持って渡す棒、あれを受け取ったら走るんだぜ、かけっこと違ってだれも『ヨーイドン』言ってくれないからな。受け取ったらすぐ走る。わかったか?」
タケヤス 「あー、うぅん、おれ・・・はしる」
ほどなくしてリレーが始まった。
我らのクラスは全体での2位くらいで第3走者までバトンが渡っていた。予想よりも好位置だ。トップのクラスがアンカーにバトンをタッチする。ほんのちょっとの差でうちのクラスの走者が必死の形相でアンカーのタケヤスにバトンを渡した。そこで信じられないことが起きた。
なんと・・・、タケヤスがバトンを受け取ってから、ゴールと逆方向に走り出したのだ。いま走者が向かって来た方向である。タケヤスはやはりリレーというものをあまり理解していなかった。
タケヤス・・・、タケヤス・・・・、やっちまった、やっちまったよ・・・。
クラスで無理やり決めたアンカーなのに、それまで全体の2位という予想外の好位置につけていたためクラスのみんなは勝手に期待していた。自分たちで選んだアンカーのくせに大ブーイングだった。
「タケヤス!!違う!ゴールはあっち、ヨーイドン!!!!」
私はありったけの大声で叫んだ。私はタケヤスのバトンの受け渡しが心配だったから近くで見ていたのですぐに叫んだ。タケヤスはポカーンと口をあけキョトンとしていたが、私の言葉を聞いてゆっくりとうなずいた。
「はしれー!!タケヤス、はしれはしれはしれー!!!」
私は腕をぐるぐる回して叫んだ
もう、ゆっくりうなずいている場合じゃない、走るんだー
タケヤスは向きを変え走り出した。もうすでに他のクラスの走者もアンカーにバトンが渡り、うちのクラスは最下位になっている。トップの走者なんてかなりゴールに近づいてしまっている。絶望的な展開にクラス中落胆の色が隠せなかった。
しかし、・・・そこから見たのは信じられない光景だった。
タケヤスの走りは見事だった。一人だけビデオの早送りを見ているかのような段違いのスピードで一気に遅れを取り戻した。ピンと指先まで伸びた大きな腕の振りに、一歩一歩がとても大きなストライド。高学年にだってこんなスピードで走れるヤツはいない。
私と遊んでいるときの彼の走りですら全然本気じゃなかったと思い知らされた。
早い。とにかく早い。大人と子供の競争を見ているようだった。ぐんぐん遅れていた差を取り戻す。会場中が見とれた。あいつの走りに・・・。水を打ったように静まりかえる会場、あっという間にタケヤスがごぼう抜きに2人を抜き去った。
「タッケヤスー、はっしれー、はっしれー」
私は一生懸命応援した。声がかれるほど大きな声で声援を送った。クラスの皆が思い出したかのようにタケヤスを応援する。
「タッケヤスー、はっしれー、はっしれー、はっしれー」
またタケヤスが一人抜いた。前にはあと2人。一気に3位まで順位を上げていた。これはクラス選抜のリレー大会。クラスで早いヤツが選ばれて走っている。その中でも一番早い人が走るアンカーの連中と走っても全然ものともしない。
最終コーナーを回って最後のストレート。またグンとタケヤスのスピードが上がった。会場は騒然とした。タケヤスの信じられない走りに会場中が度肝を抜かれたのだった。
「タケヤス、タケヤス、すごいすごい、キャー」
クラス中も狂喜乱舞していた。私は最後まで必死に叫んだ。走れ走れ走れー
直線でさらに一人抜いた。残るはあと1人・・・
もう会場中がタケヤスの声援に変わっていた。
一人猛然と砂煙を上げて走るタケヤス。いつものニコやかな表情から想像できないほど鬼気迫る走りだった。
トップとの差もグングン縮まる。絶望的だった差が今は目の前だ。
走れタケヤス!走れ走れ走れー
タケヤスは疾風のごとくゴールを駆け抜けた。最後の最後、ほんのちょっとだけトップの走者には届かなかった・・・。
結果は2位だったが、言うまでもなく会場中で一番の賞賛はタケヤスに向けられた。観客総立ちの拍手でヒーローをたたえたのだった。
いてもたってもいられない気持ちになって私もすぐにゴールに駆けつけタケヤスを祝福した。
「すごいぜ、おまいってヤツぁ・・・、すごい、おまいはすごいって」
私はワケのわからん言葉を投げかけながらも最後には感極まって言葉にならなかった。
気がつくとクラス中のみんながタケヤスの元に集まっている。
タケヤスは、うれしいような困ったような複雑な表情で言葉に詰まる私を心配そうに見ていた。
「おまえだけ目立ってずるいぞ」
と胸を軽くパンチしたら、ニッコリと笑った。
クラスの連中にもみくちゃにされながらもタケヤスはまたニコニコして、嬉しそうにしていたのでした。
それからというもの、タケヤスをいじめるヤツはいなくなった。なんか一目置かれるようになって、少しづつみんなが優しく接するようになった。いじめっ子もいままでタケヤスをバカにしていたのが急に態度が変わって「タケヤスをいじめるヤツは俺が許さん」とかいう始末。それはそれで良かったのだと思う。
そんなある日、タケヤスが転校することになった。急に決まった話だった。クラスのみんなが泣いた。でも、一番仲が良かった私は涙が出なかった。実感が沸かなかったというか、またすぐに会えるような気がしていた。だから最後に見送ったときもいつもと同じ言葉しか言えなかった。
「タケヤスまた遊ぼうな」
タケヤスもいつもと同じだった。
「うぅ・・・、あそぼう」
タケヤスとはそれきりだ。