アルバイトの話②(シティホテル)

シティホテルでアルバイトした時の話です。

アルバイト奮闘記(シティホテル編)

他人のホームページを見ていると、面白いと感じる内容は人それぞれだと思います。私の場合、特に業界の裏話や驚きの体験談といった内容が好きです。自分の経験と重なる部分があるのでしょうか。「働いていたらこんな変わった人がいた」とか、「こんな信じられない事件があった」という話を見ると、つい夢中になって読んでしまいます。

 

 今となっては昔の話ですが、学生時代にはいろいろなアルバイトを経験しました。
 現在は社会人として平穏な日々を過ごしています。この安定した日常の中にも、面白いエピソードや人に話したくなるようなハプニングはたくさんあります。ただ、自由で気楽、そして少し無責任に働いていたアルバイト時代の波乱に満ちた出来事には、どうしても敵わないように思います。
 人は過去を美化したがるものです。「昔はワルだった」なんて言葉をつい口にしてしまうのも、そんな心理の表れなのかもしれません。
 30年以上前の話ですが、今も記憶に鮮明に残っている、まるで昨日のことのように思い出せる逸話を、これから紹介したいと思います。

 

 シティホテルは、都市部に位置し、幅広い客層に対応するホテルです。館内にはレストランやジム、大浴場などの設備が整っているところもあり、格安から高級までさまざまな料金帯があります。ビジネスや旅行など、多様な用途で利用できるのが特徴で、送迎サービスを提供するホテルもあります。快適で優雅な宿泊を目的としたサービスの充実が、シティホテルの大きな魅力です。
・・・一般的な解釈は上記の通りなのですが、私が働いていたのは主にカップル向けの場所でした。

 

 私の幼い頃からの友人であるアベちゃんと、2人で夏休みのアルバイトを探していたときの話です。シティホテルの仕事はキツイけれど給料が良いという噂を聞き、バスで20分ほどのところにあるシティホテルにアルバイトの面接に行きました。これはアルバイト情報誌を見たわけでもなく、事前連絡もなしで、いきなり飛び込みで訪れたのです。今思うと、なんとも無謀なチャレンジだったと思います。しかし、この無謀さがなければ、このホテルで働くことはなかったでしょう。若さゆえの無謀も時には良いものです。

 

 一応、履歴書を持参して支配人らしき方に「夏休みの間だけ働かせてほしい」と頼み込みました。いきなり訪れて期間限定で働きたいと言うのは、今思えば非常に失礼な話です。求人を出しているわけでもないため、人手は足りている状態でした。私たちが働けば、パートさんたちの出番が減ることになり、反発があっても当然だったと思います。
 最初は「人手は足りている」と言われ、追い返されそうになりました。しかし、帰り際に面接官がふと私たちの履歴書を見て驚きました。なんとその支配人は、当時私が通っていた学校のOBだったのです。

 

 「○○先生は元気かね?」

 

 と、懐かしそうに尋ねる支配人。偶然にも私はちょうどその教官に習っている時期でした。

 

 「元気も何も……元気すぎて困ってますよ」

 

 と、つい最近授業中に居眠りして叱られた話を遠慮気味に伝えると、支配人は膝を叩いて大笑いしていました。しばらく話し込んだ後、支配人はこう言いました。

 

 「いつから(アルバイトに)来れる?」

 

ウソのような話ですが、もちろん本当の出来事です。

 

 こうしてアベちゃんと私は無計画ながらも、まんまとアルバイトの職を得ました。そこで働いていたのは、だいたい40歳前後のパートのおばさんたちです。
 私たちは16歳くらいでしたから、パートさんたちにとっては自分の子供と一緒に仕事をしているような感覚だったのかもしれません。そのせいもあってか、とてもかわいがってもらいました。
 少し大げさかもしれませんが、アイドルのような扱いでした。アベちゃんも私も見た目が特に良いわけではないのですが、何かしら良かったのでしょう、詳しくは分かりませんけど。とにかく、女性たちにこれほど厚遇を受けるのは、人生でこれが最初で最後だと思うほどでした。
例えばこんなことがありました:

  1. 休憩室で弁当を食べているだけなのに、「いいから、いいから」とティッシュに包まれた千円札を手渡される。
  2. 誰が私(もしくはアベちゃん)とペアを組むかで、毎回パートさんたちの間で揉める。
  3. 汚れ仕事やキツい仕事はすべてパートさんたちが引き受けてくれる。
  4. 冬休みや春休みにも「ぜひまた来てほしい」と頼まれる。

 しまいには、私とアベちゃんで派閥ができてしまう始末でした。もちろん、私たちは誰かを特別扱いしたわけではありません。しかし、なぜか「キサブ派」と「アベちゃん派」に分かれ、パートさんたちがグループに分かれてしまいました。

 

 派閥といっても、馬鹿らしいほど単純なものです。例えば、アベちゃん派のパートさんはアベちゃんと仕事上のペアを組むことが多く、気兼ねなくアベちゃんと「仲良くする」ことができます。同様に、キサブ派も同じです。逆に、どちらの派閥にも属さない場合、この「仲良くする」行為は許されない、いわば権利がないような暗黙のルールがありました。
 誰が決めたわけでもないのでしょうが、このルールに従わないと「仲良くなりたい」という希望は叶わず、それをやりたい人は派閥に属することが条件でした。派閥に入ることで得られる特権――例えば「仕事以外の話をする」や「親しく接する」など――を、無派閥の人が無断で行うのは厳禁でした。
 もし誤ってこの掟を破ると、お局格のタミコさん(推定50歳、旦那は自衛官)によるお仕置きが待っています。その具体例としては、昼休みのタイミングを教えてもらえない、他の派閥メンバーが口をきいてくれなくなる、などの陰湿なものでした。
 ある日のこと。パート歴がまだ短い津曲さん(推定34歳、無派閥、子供なし)と私は、空き時間にリネン室でタオルを折る作業をしていました。たまたま二人きりになり、作業の合間に世間話をしていました。話題が盛り上がり、津曲さんから「彼女いるの?」などと、女性が好きそうな話題を振られました。特に深い内容ではありませんでしたが、楽しげな雰囲気だったのでしょう。
 その様子をたまたまアベちゃん派の重鎮、瀬戸さん(推定45歳、のび太のママに酷似)に見られてしまったのです。瀬戸さんはこの一部始終をリーダー格のタミコさんに密告(チンコロ)しました。以下はそれ以降の会話です。

 

「(あれ…お昼休みの指示がない…どうしよう)」

 

 

「ふー、今日のお総菜、美味しかったわね。あれ、隠し味にお酒入ってるでしょ?」

 

「あらやだ、どうして分かったの?」

 

「分かるわよー。どうせ晩酌の残りの鬼ごろしでしょ?」

 

「やだもー!」

 

「あ、あの、タミコさん、私お昼休みまだなんですけど…(汗)」

 

「あら、さっき『上がっていいわよ』って言ったじゃない。聞いてなかったの?」

 

「あ(汗)。えっと、聞き逃しちゃったかな?ははは(汗)。私、特別清掃で奥の部屋にいたから…(汗汗汗)」

 

「あらいやだ、聞いてなかったのを私のせいにされちゃったわね。言ったわよね、瀬戸さん?」

 

「ええ、ちゃんと聞きましたよ。なにか考え事でもしていたんじゃなくて?ホホホ。」

 

「あらまあ、仕事中に変なこと考えていたのかしらね?」

 

「ほらほら、急がないと休み時間、あと5分しかないわよ。」

 

「あ、本当だ!(汗汗)急いでお弁当食べます…(汗)」

 

見ていて痛々しくなってくる光景でした。思わず「けんかをやめてー」と歌いたくなる心境でした。

 

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 これは、フロントの女性から聞いた話です。
 私がアルバイトをしていたホテルでは、フロントで料金を精算する仕組みになっていました。客は内線電話で「部屋を出ます」とフロントに連絡し、その後フロントで料金を支払う流れです。ちなみに、フロントはプライバシー保護のため、低い位置(腰の高さほど)に小さな窓が設置されていて、客と直接顔を合わせないよう配慮されていました。
 ある日の昼休み、休憩所で弁当を食べているときにフロントの女性が教えてくれたのですが、ほとんどの客は部屋を出る際、内線電話で「終わりました」と言うのだそうです。おそらくその行為が「終わった」という意味なのでしょうが、フロント側としては「だから何ですか?」という心境だそうです。
 その女性は笑いながら、「『良かったですか?』なんて聞けるわけないし、ただ困るだけなんだよね」と話していました。
 また続けて、 

 

「『これから部屋を出ます』って言ってくれれば分かるのに、わざわざ行為の終了を報告する必要なんて無いのにね。なんか言いたくなるものなのかしらね。」

 

 と言っていました。
 そんなエピソードを聞きながら、ホテルのフロントもなかなか大変だなと思ったものです。

 

 さて、このアルバイトは長期休みの期間だけでしたが、私は結局4年ほど続けることになりました。私は高専の学生だったので4年生以降も、長期休みの間はアルバイトを続けていました。一方、アベちゃんは普通の3年生の高校に通っており、学校を卒業してすぐ就職したため、このアルバイトを辞めることになりました。しかし、その代わりにアベちゃんの弟が高校に入学したタイミングでこのアルバイトを引き継ぐことに。なんと派閥もアベちゃんからアベちゃんの弟へそのまま引き継がれていったのでした。(笑)